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スーパーAIに出来る事、出来ない事

 

 

 

 

 

 

 オートメーションという古い言葉があります。自動化された工場で大量に効率的に生産する。戦時中、物量でアメリカは日本を圧倒しました。T型フォード車を生産するやり方で戦闘機やジープを生産したアメリカが船舶で沖縄の海をうめつくしました。戦後の日本はラジオやテレビや自動車を量産しアメリカの市場に進出しました。これらは昔の話です。

 今後5年あまりの間にAIが自動化するのはホワイトカラーの仕事、クリエーターの仕事だと言われています。AIを使ってこれまでの何倍も、何十倍もの効率化が出来る人でないと高収入は得られないしリストラされたり左遷されたりすることもあるでしょう。AIを駆使して少人数で高い生産性を上げられる現代の「魔術師」がキーボードや声でAIを操って仕事をする時代が始まります。今までの仕事の人のネットワーク的なものは残るものもあるでしょう。ゴルフや会食、接待はAIでは出来ませんよね。介護士や柔道整復師、理学療法士、スポーツトレーナーなどは省力化されても残る職業に含まれます。これらをロボットやアンドロイドなどが代わって出来るようになるのはだいぶ先の話でしょう。しかしどの分野においても人とAIのハイブリッド化は進んでいくでしょう。これからの生産性向上は物の機械化だけではなく情報やアートのAI活用によるものが大きくなります。

 でもでも、人間がAIに負けたからと言って将棋や囲碁のリーグが無くなるわけでなく、ゲームやスポーツの領域は人がプレーすることで人気が出ます。AIが学習するのは人間の天才や名人のアートであり棋譜である訳で結局人気のある人間の作品をエミュレートし真似して応用し再現する訳です。結局モーツアルトやベートーベン風の楽曲を上手に作ったり量産したり出来て、将来AIモーツアルトのケッヘル何番なんていうのを世界的バイオリニストが演奏したりして再生回数が上位に上がったりするかも知れません。しかし、体験し、恋をし、何かに感動して作曲する新しい天才が生まれた時それがAIである可能性はまだ低いと思います。世界のあらゆる名画や写真作品を学んだステーブルディフュージョンは高度なプロンプトで指示をした時、革新的な芸術を生んだとしてもそれが美術館に並ぶならそれを作品化した人間の創作という一面によって鑑賞され人気が出ると思うのです。ホンダエンジンのF1カーを運転したアイルトンセナはF1王者になったけれど免許を持っている人なら誰が運転してもぶっちぎりで勝てるくらいにならないとマクラーレンホンダがセナ以上に評価されるようにはならないだろうと思う訳です。

 AIシンギュラーリティ後の世界というのはもう何を発明しても、学術的、科学的な業績をあげても楽曲や文学や芸術作品を発表しても上位に入るのはAIの創作または研究したものばかり。ノーベル賞もグラミー賞もアートシーンも見渡せばAIしか勝たんという世界なのかも知れません。そういう世界は遅かれ早かれ来るでしょう。そういう世界にAIと人類は共存共栄出来るのか?出来なければ人類は滅びるのか、あるいはAIが禁止されて必要以上に使えないレトロなユートピアが出来るのか、そんなことを探究してゆきたいと思います。